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 [ 2006年からの記録 ]
 
御蔵島の黄楊の木(根元) 私が生まれて初めて御蔵島に行ったのは、約18年位前のことで、あるいい加減な人が御蔵島に連れて行って柘植の原木の購入先を紹介したと嘘を平気でついて文章にして公表している人がいましたが、(御蔵の人は笑っていました。私も時間の無駄ですので相手にしていません。) ニオイエビネ・島の崖の滝私は18年前、当時の将棋連盟販売部、私の恩人、関口勝男先生に連れて行っていただきました。竹柴から夜、10時15分過ぎ ごろに出向しまして、朝の5時頃に三宅島に着岸してそれから8時10分頃にえびね丸という漁船を大きくしたような船が大揺れで、 当時の将棋マガジン(休刊)に詳しく掲載されています。駒を制作する人が始めて御蔵に来たといわれ(本当か嘘かわからない) 縁があって御蔵島村村営産業センターの将棋駒制作の指導えをさせていただきました。これは、将棋世界に掲載されました。 私は御蔵島の人達のご好意で大切な柘植の原木を譲っていただいています。 その感謝の心を込めまして私から見ました御蔵島のすばらしい所をお伝えしたいと思います。


2007年奮闘記

■ 2007年 某月某日

 個展の展示品の片付け、飲み友達(すいません)の大塚さん(お客様)にお手伝いしていただいた上に夕食(鹿児島料理)をごちそうになりホテルまで探していただきまして「ゆりかごめ」まで乗せていただきましてありがとうございました。竹芝の手前の日の出桟橋に泊まりました。
「東海汽船ジェット」で、まずは伊豆大島へ!

竹芝のシンボル
竹芝のシンボル?
 東海汽船ジェット
着岸するところです。 
竹芝発 AM8:20 → 大島着 AM10:05
当日は、伊豆大島 小雨 潮(波)の状況が悪く?(ジェットはゆれませんが。)


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■ 伊豆大島、元町港に着岸ではなく岡田港に着岸(普通は元町港)。

御蔵島の黄楊の木(根元)  残念と思いつつバス停まで早歩き御蔵島行きのヘリコプターまで、まだ時間があるので毎年恒例 の御神火温泉へ行くために元町港へバスで。
いつもここまでにまで歩いてくる途中で富士山が見えます、きれいです。
ホームページの表紙の富士山はここから撮りました(「2006年からの記録」で紹介しています)。当日は残念ながら見えません。
 「御神火温泉は入場料が1000円ですが元町港の待合場所の前のバス停近くに観光案内所(古くてめだたない)で前売り券を買うと500円です。温泉の中は数種類の浴槽とサウナ、室内プール、食堂と休憩所があります。いつもここで大島空港(飛行場)発14:55のヘリコプターの時間まで休憩。朝食はコンビニのおにぎりでしたので、ここではいつも昼食はチャーハンです。おいしいですよ。
御神火温泉から元町港まで歩いて(5分位)バス停まで、後はバスで飛行場前まで停留場から飛行場まで歩いて10分位です。
ヘリポート
■ 御蔵島の「ヘリポート」、15:22着  
 ヘリとヘリポートの間に見えるのが、三宅島です。(わかるかなぁ)


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■ 2007年 某月某日 村営の御蔵荘に宿泊。

 明日は御代ヶ池へ
御代ヶ池 御代ヶ池
 御代ヶ池は御蔵島唯一の池です。この池は5,300年前の噴火で出来たつぶねが森が水を堰き止めてできた池で、雨の少ない時も枯れることがありません。私が始めてここに訪れたときは御代ヶ池には純粋な日本鯉が生息していると教えていただきましたが、今回の話では鯉のDNAの鑑定の結果・・・。 純粋な日本鯉ではないとのことです。なんでもかんでも調べればよいとは思いませんでした。夢がなくなるよ。


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■ 2007年 某月某日 AM8:30出発 天気 曇り

 山を越え谷を越え約2時間、写真を撮る暇も無し下手に休むと逆に疲れるし置いてかれる。
せっこくラン せっこくラン
 「せっこくラン」です。柘植に原生します。

 
せっこくラン せっこくラン

「きくらげ」です。拓殖の原木に「きくらげ」が発生するということは、原木が枯れている印・・・。


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■ 2007年 某月某日 小雨

 保育園の前を通って開発センターに行く。
今回の一番の目当てだった「板絵着色島民生産労働図額」、島の暮らしの様子が描かれている。
元絵は稲根神社本殿に飾られている。
板絵着色島民生産労働図額
「海亀」を獲っている。


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〜「御蔵島へ行こう」編集後記〜
 私にとりまして御蔵島はまだ名前も世にでることがなく一番の辛い下積み時代に関口先生に連れてきていただきました。
当時の私には御蔵島に行くこと自体がすべての面で冒険であり挑戦でした(金銭面、同業者の嫉妬と嫉み)。その時の御蔵島は今のように観光地で裕福ではありませんでした。もちろん「ヘリコプター」などなく季節によりましては船が着岸できずに何日も御蔵島に足止めになったり、三宅島で「えびね丸」が出航できずに待つ日が思い出されます。
有吉佐和子の「海暗」の執筆しました旅館にも泊まりました(当時ここしか営業していなかった)。御蔵島に行くたびに色々なことが思いだされます。  
 「さるびあ丸」・「かめりあ丸」などで八丈島までいったこと(御蔵島に着岸できずに)や「えびね丸、西川商店でのウイスキー騒動」・「御蔵島での昼食事件」など、「産業センター」・「拉致事件?」きりがありません。 苦労しただけ喜びと感動がこの島にはあります。私は地元山形よりも強い印象があります。今はイルカのおかげで島は裕福になり柘植を伐採する人も後何年かするといなくなるのではないでしょうか。島が裕福になることはいいことです。この島には優しさと暖かさがあります。
御蔵島はここで一応終わりにします。あとは来年かな。


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